言葉の消化
2001年11月5日言葉は自分なりに消化しないと
不思議なことに違和感を与えてしまう。
口に出す場合もそうだが
書いている場合は、その違和感が顕著になる。
言葉の運びや全体の流れ、そういったものは
おのずと個性が反映されているのだ。
真似というのは、時に勉強にはならず
“盗作”と化してしまう危険性も孕んでいる。
それは“真似”という行為は
自分なりに消化することなしに
サーっと流して、自分のものにしてしまうからだ。
だからたとえ、ところどころ言葉を
変えようとも、見る人が見ればわかるものなのだ。
“吸収”することと
“真似”をすることは違う。
会話は、相手の言葉を消化して
はじめて成り立つことからも、これは
紛れもない事実である。
######################
会話のつなぎに使う言葉に
“うーん。でも〜”と言うのがいいと
言われた。(←納得いかない。なぜ
相手の考えに反対するわけじゃないのに
つなぎに「でも」を使うのだ?)
普段、私は会話のつなぎに短いため息をつくか、
もしくは“ふぁ?”という間抜けな
ものだから、多分、このお方には
耳障りだったのだろう。
早速、使ってはみたものの、この違和感は
なんだろう。私が私じゃない気分。そして
罪悪感。参考にされた女の子だって
勝手に真似されるのは気分が
いいものじゃないだろうし。
まぁ。私が“かわいい言い方だな”って
思って消化出来れば、罪悪感なんて
ないだろうけど。
この使い方、私のキャラではありません。
追伸:ライターのバイトで何が苦戦したって
キャラじゃない言葉の運びを強要された時。
例えば、ギャル雑誌では、いかにもって
感じの“〜だしぃー”“つーことは〜”
なんて言葉を使えだとか、漢字は
少なめにだとか。活字離れを防ぐためにも
話し言葉でだとか。色々、あるんだなぁ。
不思議なことに違和感を与えてしまう。
口に出す場合もそうだが
書いている場合は、その違和感が顕著になる。
言葉の運びや全体の流れ、そういったものは
おのずと個性が反映されているのだ。
真似というのは、時に勉強にはならず
“盗作”と化してしまう危険性も孕んでいる。
それは“真似”という行為は
自分なりに消化することなしに
サーっと流して、自分のものにしてしまうからだ。
だからたとえ、ところどころ言葉を
変えようとも、見る人が見ればわかるものなのだ。
“吸収”することと
“真似”をすることは違う。
会話は、相手の言葉を消化して
はじめて成り立つことからも、これは
紛れもない事実である。
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会話のつなぎに使う言葉に
“うーん。でも〜”と言うのがいいと
言われた。(←納得いかない。なぜ
相手の考えに反対するわけじゃないのに
つなぎに「でも」を使うのだ?)
普段、私は会話のつなぎに短いため息をつくか、
もしくは“ふぁ?”という間抜けな
ものだから、多分、このお方には
耳障りだったのだろう。
早速、使ってはみたものの、この違和感は
なんだろう。私が私じゃない気分。そして
罪悪感。参考にされた女の子だって
勝手に真似されるのは気分が
いいものじゃないだろうし。
まぁ。私が“かわいい言い方だな”って
思って消化出来れば、罪悪感なんて
ないだろうけど。
この使い方、私のキャラではありません。
追伸:ライターのバイトで何が苦戦したって
キャラじゃない言葉の運びを強要された時。
例えば、ギャル雑誌では、いかにもって
感じの“〜だしぃー”“つーことは〜”
なんて言葉を使えだとか、漢字は
少なめにだとか。活字離れを防ぐためにも
話し言葉でだとか。色々、あるんだなぁ。
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